今日の帰り道、
私は主に向かって喜びを歌う、
信号が一瞬で赤に変わる間に
赤信号まであと1秒。
神の平安が、私が神を礼拝するために歌っている間、
私はブレーキを踏み、すぐに止まった。
すると、横断歩道の向こう側にパトカーがいるのが見えた。
交通違反に対する罰金のトラブルから救ってくれた神に感謝する、
神の平安が私とともにあるからだ。
実は、この平安がまるで、
昨夜、高校生の娘が、ショッピングモールで開催されるのために、
泣いている娘を見て、私はパニックになった。
そこで、ペインティングを頼むのをあきらめようと思ったが、
しかし、イベントは4日後に行われる。
神に懸命に祈った。
今朝、デボーション「砂漠の小川」の物語を読んだ。
最初の文章は、神が私に語りかけているように思えた。
「昨日、あなたは大きな悲しみを経験し、最初の衝動は、
「しかし、あなたはその誘惑に逆らわなければならない。
だから私は、学校に行く娘を起こしに部屋に行ったとき、
「神様は、
娘は昨夜の悲しみから立ち直ったようで、
神様、いつも私を絶望から救い出し、
「たとえ、夜通し泣き明かすことがあっても、
朝には喜びが訪れます。」(詩篇30:5b)