今日の午後、台湾の友人からメッセージを受け取りました。『どうすれば私は本当にイエス・キリストに愛されていると分かるのでしょうか?』という質問でした。その問いが私を少し考えさせました。どうすれば自分が愛されていると分かるのでしょうか?どうすれば神が私を愛していると分かるのでしょうか?そもそも愛とは何なのでしょうか?
水野源三という詩人を思い出します。
ウィキペディアにはこう書かれていました:
水野源三は長野県埴科郡坂城町に生まれる。9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失った。話すことも書くことも出来なくなったが、母親が何とか彼と意思の疎通をしようと五十音順を指で指し示したところ、目の動きで応答した。これが47歳で死去するまでの彼の唯一のコミュニケーション能力となる。病気になってから4年目の12才の時、町の教会の宮尾牧師が訪れ、聖書を置いていった。それを母に頁をめくってもらい、丹念に読んだ源三は、やがてクリスチャンとなる。18歳の時からは詩作を開始し多くの作品を生み出す。
彼の詩を通じて、創造主への信仰を持って毎日小さなことに感謝することを思い出させられます。
「今日一日も」
新聞のにおいに朝を感じ
冷たい水のうまさに夏を感じ
風鈴の音の涼しさに夕暮れを感じ
かえるの声はっきりして夜を感じ
今日一日も終わりぬ
一つの事一つの事に
神様の恵みと愛を信じて(水野源三)
健康でいるとき、私は持っていないものや周りの人々について多くのことに不満を言いがちです。しかし、病気や落ち込んでいるときには、私はへりくだって神に『あなたが必要です』と叫ぶようになります。
そして、自分が持っているものや、神が周りに置いてくださった人々に感謝すると、愛されていると感じ始めます。
ああ、感謝することが、神の愛の扉に入るための鍵なのでしょうか?私は、イエス・キリストを知ることを通して神を知るために創造されたと言われています。そして、神の愛を享受するために創造されたのです。
神は私の人生全体を通して、私にご自身が誰であるか、そして私が誰であるかを教えてくださっていると思います。自分自身をもっと知ることで、神により多く用いられ、研磨されたダイヤモンドのように光を放ち、太陽の光を反射して神の美しさを示すことができるようになるのです。
「どうしてそんなにも」
父なる神様に生かされているのに
どうしてそんなにも 思いわずらうのか
父なる神様に愛されているのに
どうしてそんなにも いつもつぶやくのか
父なる神様にすべてをよきように
なしてくださるから すべてをゆだねよう(水野源三)